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被災地

祖母のお葬式で行った宮城。
海沿いの被災地をずっと通って葬儀が行われた気仙沼まで、
その光景を頭に刻んできました。
あまりの状態に、帰ってきてからも夢に出てきたりして気持ちがふわふわした日々。
やっと落ち着いてきたので日記を。

何もない、あるのはがれき。果てしない量のがれき。
今まで見えなかった海が見えるのは、そこにあったものが津波で流されたから。
本当なら海を見ながら走る電車。でも線路がボロッと折れて崩れてる。
家に車が突っ込んだまま。水の中に放置されたままの車。
難を逃れたお家も窓や玄関はぶち抜かれ板を張ってしのいでる状態。
落ちている子共の体操服。名前も書いてあった。あの子は無事かな…。
基礎しかない家の隣の家は残ってる。そのアンバランスな光景。
火葬場の横の空き地には土葬をした目印の棒が沢山立っていた。

東松島の義母宅から気仙沼まで通った2日間。往復5時間の道のり、計10時間。
義母には「見るもんじゃない。違う道を通りなさい。」と何度も何度も言われた。
でも主人と私は「ここに来たからには見なければいけない。子共も見なければいけない。」そう思った。

「がれき撤去のスピードが遅い」とテレビの人は言っている。
でも、現実を見たらそんな事言えない。先日のテレビでだた1人、「終わるわけない!現場に行けばわかる!!!」と怒鳴っていた女性コメンテーター。
私も彼と同様に感じた。
砂埃で白く煙るなか、重機で鉄の棒を1本1本持ち上げてるんだもの。沢山のトラックが列を作ってがれき撤去に行ってる。でも、それをう上回るがれきの量。皆の「想い」があるものが破壊され、「がれき」と名前を変えた。

宮城へ向かう高速。沢山のトレーラーを見た。仮設住宅を積んでいた。
何台も何台も。でも1台に乗せられるのは1棟。
どれほどのトレーラーを動員したら総理が言う数の仮設住宅ができるのか。

気仙沼では他県ナンバーのパトカー。
スタンドの給油の合間に地図を見る京都ナンバーのクロネコヤマトさん。

被災者の方々も一生懸命、
それをどうにかしようと動く人たちも一生懸命。
皆が一生懸命ふんばってる。

皆が何かをしたいと思ってる。
でも何をするのがいいのか分からないのが実情なのかもしれない。


こう書いていても結論は何もでないけど…自分の無力さを感じるけど…
ここに書ききれないくらいの沢山のもの、光景を見た。
この目で見た光景をしっかりと頭に刻んで生活をすること、
あの光景をわすれないこと、
そうしたらきっと日々の生活が少しずつでも「何か」が変わってくると思う。
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by petitexxpetite | 2011-06-14 22:31 | 日々のこと
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